今週の風景 No.473  

管理人
梅雨に入ったはずなのですが気温は7月並みの暑い日が続いております。

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なんとなく・・・
なんとなく・・・ですが、

JOYチャペルは若いカップルに縁が増え始めた気配があります。

毎年恒例のJOYチャペルのファミリーキャンプ。今年は、9月18,19日。委員会が発足し、準備が始まりました。
今年も楽しい催しと真面目な企画を委員会で知恵を絞って考えています。

3年前のファミリーキャンプで大好評だった「教会川柳コンテスト」を今年も開催します。JOYチャペルのこと、クリスチャン生活等、キリスト教にちなんだ内容の川柳を作って応募していただき、教会の皆さんの投票により優勝者を決定。優勝者の発表は、ファミリーキャンプで行ないます。キャンプの参加者も、都合で不参加の方も一緒に楽しめる企画です。

3年前の作品を幾つか紹介します。その年の流行がわかりますねw。

<最優秀賞>
「バプテスマ  いつ受けるって 今でしょう」

<キャンプ委員会特別賞>
「神様は 何でも出来る  イエス You Can」

<優秀賞>
「祈れない 時にも誰かに 祈られて」
「み言葉は わが光なり 老いの道」

<その他の作品>
「ビアホール 誘いを断り 祈り会」
「未完成 主のまぼろしを 祈りつつ」
「離れても 祈りでつながる Joyチャペル」
「教会に 老いた二人の 時間割」
「分かち合い ふれる手と手に 心あり」
「ひたすらに 求めてジョイに たどり着き」
「ファミキャンで 以外とはしゃぐ お父さん」

by しん1

今週の一面『 みんな恐怖症 』6/12  

Shin1

◆「みんな、あんたをひどい人だと言っているよ。」こんなことばを聞くと(ネット上に書き込まれたりすると)、胸はドキッとし、心臓は高鳴ります。「みんな」などということはうそで、ごく少数の人の言う事を言っているのに、私たちは「みんな」と言われてドキッとする。現代人は「みんな恐怖症」にかかっている。それは現代人が神を信じ、神を恐れなくなった代わりに人を、すなわち「みんな」を恐れるようになったからではないか。そして、この「恐怖症」は現代人をいろいろ苦しめている。

◆一方、みんなで渡っていれば恐くなかった社会が、いま崩壊しようとしている。なりふり構わず金銀を追い求めてきた社会システムが音をたてて崩れた。ここにも「バブルの崩壊」という現象を通して「社会の崩壊」「教育の崩壊」「家庭の崩壊」「自然界の崩壊」などの崩壊現象に「みんな恐怖症」が拡がっている。

◆こうした現代人が、安定した生活を取り戻すのにはどうしたらよいのだろうか。アウグスチヌスのことばに「主よ、わたしはあなたのもとに憩うまで平安はありません」というのがある。神に帰れ、世間がどう騒ごうと人がどのように言おうと、それらに左右されることはない。その時に初めて「みんな」から自由にされる。そして、神の愛のうちに安けさを得る事ができる。イエスさまは言われた『わたしの平安をあなたがたに与える』と。ここにだけ現代人の救いと「みんな恐怖症」という煩いをいやすものがある。

石田政美

今週の風景 No.472  

管理人
今日は石田牧師による「信仰の破船」というメッセージでした。
テモテ第一:1:19は新共同訳で「挫折」と訳されている箇所が口語訳では「破船」と訳されていました。
スモールグループで"深い"と思ったのが、
「自分の信仰が難破していることにすら気がつかない時もある」
でした。

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子どもの頃から、道端に咲いている小さな草花が大好きでした。
結婚したらサザエさんやターシャ.デューダーのように季節ごとの花々やハーブに囲まれて暮らしたいと思っていました。

「さぁ、思い切り夢を叶えましょう!!」と、庭中にれんげ草の種を蒔き、子ども達とよつば探しをしてみたいからと、クローバーも植えました。

その結果...
「なんだこの庭は!、雑草だらけじゃないかー!!」と、夫に全部むしりとられてしまうという、そんな笑い話のような失敗も数々ありました。
けれど、ある時から私は、花を愛でることも出来なくなり、我が家の庭は手入れされることがなくなりました。
去年、娘が中学生になり、華道部に入部しました。
お稽古の度に花材を小さなブーケに切り揃えて私にプレゼントしてくれます。
本当は、家でもう一度復習するはずなのに"ママ仕様"にカットして持って帰って来ては「はいっ」と渡してくれるのです。

最初はその花を活けるのも億劫でした。
でもせっかくの花...とにかく花瓶に差しました。
次回はボーボーに生い茂っていたアイビーを庭から切ってきて少しアレンジ。
その次はアップルミントと...。

そうして少しずつ庭の草花に目が行くようになり、何年も放置していた庭には、生き残っていた草花があることにも気付き、胸がいっぱいになりました。
それから雑草を抜き、肥料をやり、ゴメンねと謝りながら毎日水やりもしました。
球根も久しぶりに植え付けました。
今、庭にはたくさんの花が咲いています。

毎月、毎月、娘はどんな想いでブーケを作ってくれていたのでしょうか?

娘のブーケ作りは、無言の祈りだったように思います。
娘の祈りと神様の養いの中で、私の心も我が家の庭もすくすくと元気に育っています。娘の顔にも笑顔が少し増えました。

涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。 (詩編126:5)

byゆかりん

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