「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。」(Ⅱコリント5:18~19)

「私たちがキリストの証人として、委託された務めを生きようとするとき、いろいろな伝道の方法が用いられるようになります。ここで今私たちは「個人への伝道」について考えます。それは個人が携わる場合もありますし、数名の者が協力して行う場合も生じます。
いずれの場合も教会の働きです。教会の働きというのは、個人の思いつきや、趣味で行うというのでなく、どこまでも教会を背景とし、教会から出て行って教会へ帰って来る。教会に根をおろしているキリスト者が、与えられている人生のはせ場で懸命に生きつつ行う伝道、懸命にキリストにあって生きることが伝道となるような伝道です。また、教会の伝道プログラムの中での働きということでもあります。
個人伝道は、大衆伝道と、その方法において大きな違いがあるでしょうが、本質的には大衆伝道、職場伝道、訪問伝道、病院伝道等々と異なったものがあるわけではありません。
個人伝道は、決して知識または理解の伝達ではなく、信仰のこころの起るのを手伝って、生けるキリストへの紹介者となることです。」(北原末男牧師)

 私たちは、イエス様から和解の言葉を委ねられた一人一人として、それぞれがイエス様と出会った、あるいは、信じたときの感動と恵みを日々携えて、イエス様の紹介者として歩ませていただきたいと思います。そして、自分の存在そのものがキリストの証しとして主に用いられるように祈りましょう。

松﨑 準

今週の風景 No.471  

管理人
6月第一週の主日。
今年もすでに半年ですか、歳をとると月日の流れが早い早い。

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自分が死ぬまでに何を残すか。
自分は子供達に信仰を残したい。
複雑なストレス社会だからこそ、神様にゆだね守られ平安を与えられる、信仰を持たせてあげたい。
恐らく、間違いなく、子供達に習得させるべき護身術は信仰だと思う。
少なくとも自分はそう思っている。

2016年6月5日 講壇の花

hamu
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