・賛美歌21(日本基督教団出版局)には、名曲といわれる賛美歌が
 数多くあります。 
 下記の曲もそのうちの1曲と言えるでしょう。
 イースターに歌われる歌です。
「575番」歌詞がステキなので読んで下さい。

 「球根の中には」

 1 球根の中には   花が秘められ
   さなぎの中から  いのちはばたく
   寒い冬の中    春はめざめる
   その日その時を  ただ神が知る

 2 いのちの終わりは  いのちの始め
   おそれは信仰に   死は復活に
   ついに変えられる  永遠の朝
   その日その時を   ただ神がしる

・<復活>についてマルティン・ルターは書いています。                「イエスは ここには おられない」新約聖書マルコ16:6 
    
 クリスチャンはキリストのいらっしゃる所にこそ、いるべきです。
 もしもキリストが墓におられないとすれば、クリスチャンもそこに
 いるべきではありません。
 
 墓の中には布が残っているばかりでした。
 墓の中に残された布、それはこの世のものです。      

 (「子どもも一緒の礼拝」(鞭木由行著)参考)
◆開拓伝道14年間を振り返ると、神から呼び出された私たちは、幼嬰児連れの若い家族を中心にミニストリーがなされてきた。その結果、クリスチャン・ホーム(親がクリスチャン)の子どもたちが育てられ、親から子への信仰継承が確実に成されてきた。

〜遠野の風だより〜 No.32

ありこ

東日本大震災から二回目の3.11を迎えました。
大槌町では10日に一般の献花場を設け、11日は遺族だけの追悼式がありました。
両日はその前日よりも気温が下がり、雪がちらつきました。
「あの日も雪が降ったね」と二年前を思い返す方がいます。

記念日反応(大きな出来事から1ヶ月、1年と節目のときに感情が激しく揺れてしまう)
が懸念されました。
昨年は抑うつ的な気分になる方、引きこもりになる方がありましたが、
今年はお茶会でみる限り、昨年よりお元気そうに見えました。
が、「肩もんで」と言ってくる方があり、「私は手がしびれる」
「私は足がだるい」など不調を訴える方が多くありました。
いままでも「手もみ」はしていましたが、症状を言ってくることは初めてでびっくりしました。
本人も気づかない不安などの思いがあるのでしょうか。
これも記念日反応の一つなのかもしれません。

夫と2回目の3.11を線路も駅舎も流された大槌駅で、2時46分のサイレンに合わせて
黙祷をささげました。
家が流されて土台だけになった所に、お花やお供え物があちこちで見られます。
家族や親戚、友人、知人を亡くした方たちの悲しみあふれる町です。
大槌町の江岸寺の住職は、父親と息子さんがまだ見つからないなか、
「わすれないで、というのは被災していない人に言う言葉。(被災した)私たちは
わすれましょう。でないと思い出せないから」と言われます。
これを聞いた後ことばが見つかりません。悲しすぎます。

今週の風景 No.327  

管理人
ポカポカな日曜日でした。
退院して教会近くに転居された兄弟のところに訪問して出張聖餐式をしたエピソードとともに、出張聖餐式セットの存在が明らかになりました。
※画像にて牧師が手にしているのがそれ

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聖 書: ルカ23:24~25

説教題: 「イエスのみ足の跡を歩く」

 

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