・私たちの教会は、小さい子どもさん連れのお母さんが礼拝に集中出来るように、
 子どもさんをお預かりします。
 礼拝の前半はお父さん、お母さんと一緒に礼拝に参加、後半は二階に移動して
 子どもの時間。
 これが「ナースリー」です。

・0歳から小学校1年生ぐらいまでが対象です。
 2名のスタッフがお世話致します。 
 スタッフは子育てがちょっと一段落した先輩ママや、ほぼ子育て終了?のベテラン
 ママ、そして、若いお兄さん、お姉さんがアシスタントとして遊びのお相手を
 いたします。

・お兄さんたちはみんな体育系ですから、幼児が思いっきりぶつかって行っても
 大丈夫!大丈夫!
 歌も歌います。ゲームもします。そしておやつタイム。
 この時はお行儀よくイスに座って、おやつが配られるまで(手はお膝!)です。
 そしてお祈りをして「いただきま〜〜す!」とご挨拶します。みんな笑顔!!

・メッセージが終わるころ、ナースリーの子ども達は礼拝堂にもどり、
 最後の賛美歌を一緒に歌います。
 そして 祝福の祈りを受けます。

・聖書の中には、イエス様が子ども達を大切に思っていらした事が記事として
 残されています。
  「子ども達を私のところに来させなさい、止めてはいけません」
                           マタイ19・14
 大人が(イエス様のお弟子さんかもしれません)止めようとする場面が
 あったのでしょうか?
 子ども達はイエス様のそばに行きたくて、争って行った様子を想像します。
 きっと、イエス様のそばは居心地がよかったのではないでしょうか。

◆何十年も前、教会学校で歌った歌です。ルカによる福音書15章から作られた歌のようです。ですからイエスさまはこどもだけでなくおとなにも大切な真理を語っていらっしゃいます。

〜遠野の風だより〜 No.31

ありこ

2月の最終週は8名でボランティアに来てくださいました。
そのうちのYさんは、ピアノ奏楽の上手なかたです。
最近、小鎚第4仮設で「花は咲く」を歌いたいとリクエストがありまして、
ちょうどYさんが来てくださるので、「花は咲く」を練習してきて下さい、と
お願いしました。

聖 書: マタイ26:36~46

説教題: 「この杯」

 

 

 

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◆『 置かれた場所で咲きなさい 』(渡辺和子著 幻冬舎発行)が昨年からベストセラーとして多くの人々に読まれている。

◆その中で、とっても感銘を受けた「許すためのゆとり」で語られている次の言葉を紹介しよう。.........人間は決して完全にわかり合えない。だからどれほど相手を信頼していても、「100%信頼しちゃだめよ、98%にしなさい。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておきなさい」.........

◆振り返り見れば、100%信頼しあうことこそが信頼だ、という思い込みに縛られて、相手も自分も許せなくなったことがありました。残りの2%を「相手が間違った時の許しのため」に取っておく、それもまたやさしさであり、愛というものの懐の深さだと、失敗を重ねた者として腑に落ちる。

◆著者はさらに次のように語っている。「人間は不完全なものです。それなのに100%信頼するから、許せなくなる。100%信頼した出会いはかえって壊れやすいと思います。『あなたは私を信頼してくれているけれども私は神様じゃないから間違う余地があることを忘れないでね』ということと、『私もあなたをほかの人よりもずっと信頼するけど、あなたは神様じゃないと私は知っているから、間違ってもいいのよ』ということ...。
そういう『ゆとり』が、その2%にあるような気がします」と。

◆間違う事を許すという「ゆとり」。とってもホッとする暖かさを覚えます。

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