〜あなたがたのために〜
「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださった
 からです。」               (ルカ2:48)

◆クリスマスの夜、羊飼いが「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」(ルカ2:11)とのみ告げを聞いたように、クリスマスのおとずれは、ただ救い主がお生まれになったということではなく、「あなたがたのために」救い主がお生まれになった、という知らせである。クリスマスはこのおとずれを喜ぶ日である。そしてまた、その救い主がすべての人を照らす真実の光であるがゆえに喜ぶ日でもある。

今週の風景 No.364  

管理人
キャンドル灯火2本目です。
メッセージ終盤の「もう二度とイエス様を十字架に架けてはいけない!だから・・・」
の下りにハッとしました。

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3人の博士のみっつの贈り物と十字架上のキリストがとった行動との関係・意味する事を今一度正しく理解しなくては!と思わされた礼拝でした。

聖 書: マタイによる福音書 2:1~12 

説教題: 別の道から帰る」

 

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今週の一面『待降節第2主日』12/8  

Shin1

〜客間には〜

 「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(ルカ2:7)

◆ユダヤのベツレヘムの宿屋には、神のみ子がそこにお生まれくださったというのに、そのみ子を家畜小屋に押しやり、飼い葉おけに寝かせた。「宿屋には彼らのいる余地がなかったからである。」と聖書は説明している。客間には彼らのいる余地がなかった。わたしたちの客間はどうであろうか。はたして客間にみ子を迎える余地を持っているだろうか。せっかく、み子がご降誕くださり、絶大な救いの恵みを持ってきてくださっても、もしその主をわたしたちがお迎えしなければ、その恵みに生かされることはできない。
「彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受け入れなかった。しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」   (ヨハネ1:11,12口語訳)

◆クリスマスはみ子のご降誕を祝う日である。しかし、それはみ子をお迎えしたものだけが、真にそのご降誕を祝い、感謝し、喜ぶことができるのである。あなたの客間はどうか。どんなに大切なものも、み子に比べればふん土である。ことしのクリスマスこそよき備えをもって、心から主を迎えようではないか。そしてほんとうに主の恵みに日々生かされて歩む喜びの人とされようではないか。

◆人間の言葉として使われている中で最も美しい言葉であり、最も多くの人々に愛唱されている詩歌が詩編23編である。

◆この詩には勝利の確信、感謝、喜び、平和が圧縮されており、人生の荘厳さとせん烈さが一緒に表されている。また、神の臨在の厳粛さと豊かな人間性の絶妙な調和がかもしだされている。

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