今週の一面 3/13  

Shin1

 3.11東日本大震災から5年が経ちました。その爪痕はあまりにも大きく、これから先もその影響は、ずっと消えることはないでしょう。鳥栖教会の野中宏樹牧師は、『世の光』(2016年3月号)の中で、『原子力とは何か ~100年後の子どもたちへの手紙~』と題して、3ページに渡ってコラムを書いています。機会がありましたらぜひ読んでいただきたいのですが、その中で野中先生が「人間の作り出した放射能と命とは決して共存できない」という叫びの中で、作詞・作曲した『100年後の子どもたちに』という歌がありますのでご紹介します。       

松﨑 準

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100年後の子どもたちに(作詞・作曲 野中宏樹)

  1.100年後の子どもたちに 僕らは、今、何ができる
    100年後の子どもたちに 聞かれてどう答えよう
    山や、海や、河や、空気や、大地を、こんなに汚してまで
    ほんとにみんなは心豊かな、くらしを手にいれたのかい
    100年後の子どもたちに 僕らは、胸をはれるだろうか
    100年後の子どもたちに どんな世界を手渡せるだろうか

  2.100年後の子どもたちの すがたが見えますか、あなたに
    100年後の子どもたちは すてきな世界に暮らしてるだろうか
    ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・JCO そしてフクシマと
    僕らは何度同じ痛みをくりかえして、道標をみつけるのだろうか
    100年後の子どもたちに 僕らは、胸をはれるだろうか
    100年後の子どもたちに どんな世界を手渡せるだろうか

    父ちゃん、母ちゃん、爺ちゃん、婆ちゃん、
    あの時いったい 何をしていたの?
    父ちゃん、母ちゃん、爺ちゃん、婆ちゃん
    あの時いったい 何を言ってたの?

    100年後の子どもたちに 僕らは、胸をはれるだろうか
    100年後の子どもたちに どんな世界を手渡せるだろうか
    100年後の子どもたちを 僕は心から愛したい
    100年後の子どもたちを 愛するために今、立ち上がろう

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・過日我が家の冷蔵庫の掃除をした時、しなしなゴボウとグチャグチャきゅうり発見!
 ひゃー!!
 この時言いようもない罪悪感を感じてしまいました。
・1年ぐらい前 送られて来た雑誌で、飢餓が原因で1日に4万〜5万人の人が死亡して
 いること、その内7割以上が子どもたちであることを知りました。
 飢餓になるのは食糧が十分に作られていないからではありません。
 穀物は世界中の人が生きていくのに必要な量のおよそ2倍は生産されているのだそうです。
 それでも食べ物が不足しているのはどうしてでしょうか。
・それは世界の2割足らずの先進国(日本を含む)が世界の穀物の半分以上を消費してしまっているからと
 知りました。
 私たちのように食べ物がいつでも十分に手に入るのは世界のおよそ2割の人だけなのです。
 日本の食品廃棄の半分以上にあたる1000万トンが私たちの家庭から捨てられているのです。
 金額にして1年間11兆円!!!
・世界のどこかの国の子どもが飢餓で死亡していることを知らないふりはもう出来ません。
 私にも出来ることがあることも知りました。
    1  無駄な買い物、食べ残しを減らすこと
    2  できれば国産品、減農作物を選ぶこと
    3  季節のものを食べること
     「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ、
      また海の魚と空の鳥と地に動くすべての生き物とを治めよ」創世記1−28
  神様は私たちを信頼して委ねられたのですから
by ゆっこ

 

メッセージ:松﨑準主任牧師

聖   書:ガラテヤ6:11~18
説 教 題:「十字架を誇る生き方」

 

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〜オリーブの香り〜No 197『手紙』  

Shin1

この季節になると思い出す光景がある。
九州は博多駅のホーム、寝台列車の出発前に、別れを惜しむカップルの姿があった。どちらかが、進学か就職で上京するのであろう。40年前の若者たちは、人前でいちゃいちゃすることもなくわかれ際に握手するぐらいだった。それでも、発車した列車が遠ざかるまで手を振り続けていたという小説みたいな光景が繰り返されたものだ。そんな二人をその後結んでいたのは、手紙だった。携帯電話もパソコンも無い時代、お互いの気持ちを思い切り伝えるのは手紙だけだった。当時の固定電話は、家に1台、下宿に1台で、とても気持ちを伝えあうような会話はできなかった。

若い時に、或る女性から200通近くの手紙をもらったことがある。多分、私も100通近い手紙を出したと思う。
手紙を出すと返事が待ち遠しく、ポストの中を一日何回ものぞき込んだ。手紙がくると、ドキドキしながら封をきった。何回も読み直し、行間の中にある相手の気持ちを必死で読み取ろうとしたものである。もちらん手書きだから、時として何度も書き直すようなこともあった。或いは、もらった手紙の文字で相手の気持ちを推測するようなこともあった。

聖書にも「手紙」が沢山あるが、このような気持ちで読んだことはないということに気がついた。例えば、コリントの信徒になったつもりで、言い換えるとパウロが私に書いた手紙と言うつもりで読んだことはなかった。

改めて、そんな気持ちで読んでみた。いきなり叱責を受けた。わかりました、わかりましたからこれ以上叱らないでくださいと言いたくなるくらい、パウロは繰り返し、言葉を投げつけてくる。行間に、パウロの熱い気持ちが汗となって飛び散っているのを感じる。パウロの背後にある神の圧倒的な力、サウロを回心させたあの力を感じる。最後まで、「目を覚ましていなさい」と叱咤激励される。
さて、私がパウロに返事を書くとしたら、どのように書くだろうか。今後、しばらくの私のテーマになりそうである。

さて、若い頃のその手紙を改めて読めるとしたら何か怖い気持ちになる。焼き捨ててしまいたい手紙もあれば、ずっと保存したいものもあるだろう。しかし、それらの手紙は所在不明である。ちなみに、或る女性とは妻のことなのだが。おーい、どこに隠してあるの?

Byとうちゃん

今週の一面『 小さな親切 』 3/6  

Shin1

◆「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」(エフェソ4:32)

◆「19世紀後半の話、イギリスの国会議員の馬車が泥沼に入ってしまって動けなくなった。国会議員は自分で何とか引っ張ろうとしたが駄目だった。ところが彼が困り果てたところへ一人の農家の少年がやって来て、泥沼から馬車を引っ張り上げることに成功した。驚いた国会議員は、その少年に『お金は、どれくらい払ったら良いのかね』と言った。少年は答えた。『僕は、何も要りません。あなたのような偉大な方をお助けできて光栄です。』すっかり感心してしまった国会議員はまた尋ねた。『大きくなったら、何になりたいのか。』少年は、医者になりたいけれども家庭が貧しいから無理だろうと答えた。すると国会議員は言った。『あなたの学費を全部、出そう。』こうして、少年は学校に行き、医者になった。その50年後のこと。イギリスのウインストン・チャーチル首相が肺炎で死にかけていた。第二次世界大戦の真っ最中で、イギリスはドイツの空襲を受けピンチに立たされていた。最後の手段として、医者たちは新しく開発されたばかりのペニシリンという薬をチャーチルに投与した。するとチャーチル首相は一日で元気になり、イギリスを勝利に導くことが出来た。そのペニシリンを発明した医者は、50年前に国会議員の馬車を泥沼から引き上げた、アレクサンダー・フレミングという少年だった。しかも馬車を引き上げてもらった国会議員は、ランダル・チャーチル(ウインストン・チャーチルの父親)だったのだ。こうして、少年の小さな善行(親切)が自分の人生を変え、チャーチルの少年に対する善行(親切)が自分の子供の命を救い、また国を破滅から救うことにつながった。」(W・ウッド、『100のミニ・メッセージ』、イーグレープ、2009年。)

◆数年前、アメリカでは「小さな親切運動」が注目されたそうです。一人々々が毎日、隣人に対する親切を心掛けていくなら、世の中が変わるということですが、これは聖書の教えとも一致した考え方です。今日の世界の状況を見ると不安だらけです。安心して海外旅行にも行けない...。また、日本でも日々様々な残酷な事件が起こっています。世の中を変えようという大きなビジョンを掲げなくても、自分の家庭、学校、職場で「小さな親切」を実践すれば、周りの人たちも、また自分自身もホッとして元気が出ます。そして、いつしか「親切」と「親切」が繋がる奇跡が起こるかも知れません。

松﨑 準

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