今週の一面『3つの誤った前提』11/12  

Shin1

◆「子どもが生まれるまでは、ほんとうに良い妻でした。でもあの子が生まれたとたんに、伴侶ではなく母親になってしまったのです。」と言った人がいます。夫婦の間に第一の試練が訪れる。それは、親子関係が夫婦関係に優先してしまうことです。

◆夫婦関係は長いあいだ継続するが、子どもとの生活は一時的なこと、夫婦二人の関係を最善のものにしておくことが何をおいても第一のものです。

◆二つ目の誤った前提とは、子どもを家庭の中心に生きるという考え方です。多くの親たちが子どもたちの歓心を得ようと努力している。そのため家庭で子どもが王様となっている。こういう価値観の中で育った子どもには、案外自己中心なわがままな子どもが多い。私たちは子どもを家庭の中心に据えるべきではない。中心はいつも夫と妻の関係であるべきなのです。

◆第三の誤った前提は、子どもに不当な要求をし子どもに年相応以上のことをさせようとすること。たとえば、まだ人形遊びに熱中する女の子が、遠い所までダンスを習いに行かされたり、ブロック遊びの好きな男の子に本を読むのを強制するといった具合です。

◆子どもは親の願望充足の手段となり、少しでも他の人に先んじていないとという頑張りから生じる優越感や劣等感で、自尊心が傷つけられ、神から与えられた人格の尊い資質を奪うことになります。

◆三つの誤った前提にくれぐれも注意を!

石田政美

私だけかもしれませんが、気持ち的な部分でアップダウンの波が比較的よくあります。
特別いい、という日はあまりありませんが、悪い、という日がたびたびあります。
何か原因があるわけではないのですが、やたらイライラしてしまい、何もかも嫌になってしまうのです。

もし、自分の周りにそういう人がいたら、どうしますか?
大抵の人は、近付かないようにしますよね。私もそういう時の自分を見つけたら、近付かないと思います。

正直、そういう気分のときは、教会に行きたくないと思います。何もせず、家で寝てたい、と思うのですが、教会に行くと、スッキリするのです。

教会の空気はとても不思議です。森林浴とかに行くと、空気が気持ちいいって感じますよね?例えとして正しいのかわかりませんが、あれと似た感じでしょうか?

聖霊様が働いてくださっていることを心で感じる瞬間ですね。

私と同じような気持ちになる方は、ぜひ教会にお越しいただき、肌で感じてほしいと思います。

by Hiro

今週の風景 No.535  

管理人
石田牧師によるメッセージでした。
私達の賛美は神様に捧げ神様に喜んでもらうもの。
11/26は讃美礼拝。
礼拝後は11/26に向けた練習がありました。
神様に喜んでもらえるといいな。

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今週の一面『荒野の祝福(5)』11/5  

Shin1

◆荒野の生活が祝福である3番目の理由は、そこでは主だけを頼り、生きていくしかないからです。イスラエルの民には、食物や飲み物がありませんでした。昼には暑い太陽が照り、夜は厳しい寒さの中で過ごしました。そんな中で彼らができることは、主だけに頼ることでした。

◆私たちは、あまりにも多くのことに関心を持っています。神もその中の一つであるかのように思われます。しかし、荒野では主だけを頼るしかありません。ですから、足りないこと、病にかかっていること、苦難があることは大切なことなのです。人に頼らず、主だけを頼るようになるからです。

◆「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということをあなたにわからせるためであった。」(申命記8:3)

◆「パンだけで生きていく」とは、自分の方法と意思で生きていくことを意味します。しかし、人はパンだけで生きていくことができません。神と共に生きていかなければなりません。

◆このように荒野の生活を通して、神はご自分だけに頼る人を用いられます。裏を返せば、誰であっても、神を絶対的に頼るようになるまでは用いられないということです。

◆荒野は人生に不必要なものではなく、私たちを苦しめるだけの所でもありません。「荒野を受け入れます」と信仰によって告白し、神に用いられる人生を歩みましょう。

石田政美

礼拝の始まる前、JOY教会では子どもの聖書クラスと同じ時間帯に、大人の聖書クラスもあります。名付けて「お茶の間クラス」。
お茶を飲みながらリラックス。そして聖書を開いて礼拝前に、整えの時間を持ちます。

今日は、本来なら私には関係のないお茶の間クラスに特別に参加させてもらいました。バプテスマを受けた後に受講するクラスです。
多くの恵みをいただきました。

昨年&今年バプテスマを受けられた2人の女性(私の母くらいかしら。。。)と一緒に学びをしましたが、救われたときに与えられた聖書を分かち合ったり、
受けた後と前ではどんな違いがあったかなど、いろいろとお話を聞かせていただきました。お二人とも感動をもう一度思い出しながらお話くださって、私がその恵みを一緒にいただいたひと時となりました。

一方、私はもうバプテスマを受けてから32年。びっっっっくりするくらい時間が経ってしまいましたが、改めて救いの喜びを思い起こし、感謝と感動をいつも持ち続けたいと思わされました。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

ヨハネによる福音書12:24

by りかち

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