◆イエス様の多忙をきわめた生活に余裕があり、均衛のとれた美しさ、突然のように人生を閉じた33歳ほどの短い生涯を「完成」した人生。その秘訣を知りたくなります。
12月7日は北海道、青森、岩手の教会チームの野田村仮設支援の日でした。
私たちも久しぶりに参加させてもらいましたが、午前、午後と二箇所の仮設でお茶会と
クリスマスプレゼントのお菓子とお米を各家庭にお配りしました。
お茶会に来てくださる方は皆さん笑顔でお元気ですが、やはりどこの仮設の方も同じ
ですが、先の見えない生活の不安を抱えておられます。
さて野田村仮設支援からの帰り道、宮古市の市街地に入ったところで大きな揺れを感じて
路肩に車を止め、揺れがおさまるのを待ちながらラジオをつけました。
電線が大きく波打ち、長いゆれで周りの車もハザードを付けて止まっています。
・先月(11月16日)に天国に召された渡辺暢雄先生は、最後の三週間を
ご自宅のリビングで過ごされました。
"リビング" それは家族が集う場所、憩う場所、そこに先生のベットが置かれました。
足元には二匹の愛犬の寝床もありました。
・このリビングは特別の部屋でした。
遠く長野県高遠の教会からは、2、3人ずつ入れ替わり、立ち代わり
泊まり込みで付き添っておられました。
またヘルパーさんも、ケアマネージャーの八木さんも、ドクターの小林先生も
看護師さんも、お見舞いの方々、みーーんな渡辺先生と美枝子夫人を中心に
時を過ごしました。
ケアマネージャーの八木さんは夜、ギターを持って来て、一人で賛美を奏でて
帰られたり、このリビングに集った人が賛美したり、おしゃべりして・・・・
渡辺先生は聞いておられました。
イエス様が居られる所って、こんなに素敵なんだと思わせて下さいました。
・もう一つ思い出
10年ぐらい前、私たちの教会は渡辺先生をお招きして、特別集会を計画しました。
私は世田谷のご自宅まで、お迎えに伺うことをお伝えしましたら、
「それにはおよびません、自分で車を運転して行きます。
ただ、ナビがないので、バイパスを降りた所からは先導、お願いします」
との事でした。
さて、約束通り、バイパスの降り口に待機して、私は慎重に運転しました。
バックミラーを見ますと、先生の車ははるか後方、これはまずい!!と
速度を落としても、なかなかその距離は縮まらず、トホホホ・・・・・・
普通なら私の車と先生の車の間に4、5台割り込まれても不思議ではないのですが、
教会に着くまで1台の進入もないまま、無事到着しました。
・私は自分が先導したと思っていましたが、本当は渡辺先生の車はイエス様が
先導されていたのでは?と思います。
マイペース運転でなく、この世の基準でもなくーーーそうとしか思えません。