「わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」(口語訳 ピリピ4:11~13)

これは、今月2度も出会った聖句である。

ハレルヤ!

サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である(創世記23章1節)

明治生まれの私の祖母は、今年104歳を迎える。
内臓疾患無し、食事も自分で摂り、排泄と入浴は介添えを必要とするけれど、寝たきりの状態ではない。
先日も施設に見舞いに行ってみたら、私が誰かは分からないけれど、ニッコリ出迎えてくれた。
お祖母ちゃんと呼ぶと不機嫌になるので、キクちゃんと呼んであげている。

~オリーブの香り~ No158  

Shin1

最近、就職に向けての準備が忙しくなってきた。今後の事を考えると、体力的にも精神的にも本当に大丈夫なのかと思ってしまう部分もあるが、そんな中で追い打ちをかけるように一つのハプニングが起きた。
私は日曜日の朝はなぜか起きるのが弱く、ましてや頭も回転していない事が多い。そんな朝に来たY君からの一通のメッセージ。
「ギターとノートパソコン持ってきて。」
私は寝ぼけたまま「了解!」と返信したが、自分の準備で手一杯になってしまい、ギターもパソコンもノートパソコンも忘れてきてしまった。しかも気付いたのは教会に着いてから。
まずい、どうしようと思ったが、まあなんとかなるだろうと思い、そのまま教会へ行った。
すると玄関先で待っていたY君。私を見つけるやいなや、
「ギターとパソコンは?」
と聞かれたので、私は平然と、
「ごめん、持ってくるの忘れちゃったわ。」
と答えた。するとY君が急に怒り、半ば喧嘩のような状態になってしまった。人間関係とは本当に複雑なもので、その凹凸にしばしば悩まされる。しかし、そんなときこそ私は祈るようにしている。どんなに心が騒いでいようと、無理矢理にでも言葉に出して主を求める。そうすると、不思議な事にその思いが叶えられるのだ。今は無事におさまったが、私は祈りが聞かれるたびに主の存在を身をもって確認している。それが生活のあらゆる場面で原動力となり、生きがいとなっている。今日から始まる1週間も、主にあって喜びに満たされる歩みでありたい。

by マッキー

JOYチャペルでは、毎月の初めの礼拝で、「誕生日祝福のとき」をもちます。
この世に生を受けた誕生日、そして、バプテスマ(洗礼)を受けた日の月をお祝いし、お祈りがささげられます。そして、集まった皆さんで「君は愛されるために生まれた」という賛美を歌います。

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また、毎週の礼拝直後に、その日誕生日を迎えた人のために、ハッピーバースデートゥユー♪ を特別に歌います。誰でも7年に一回ぐらいは回ってくる計算でしょうか。
みなさん、とても恥ずかしそうな顔でその歌が終わるのを待っています。
私も自分の番が回ってきたときには 、自分でもわかるぐらい顔が真っ赤になって照れてしまいました。。先月のハッピーバースデーソングでは、嬉しくて涙ぐむ方もおられました。

いくつになっても、年を重ねるごとに共に喜ぶ人が周りにいることはとても幸せなことだと思います。
我が家にも二人のティーンエイジャーがいて、誕生日はお祝いをしています。親の元を巣立っていく日もそんなに遠い日ではないと考えると、いつまでこうやって家族揃って一緒にお祝いできるのかなと、その一回一回が非常に大切なときであることを思わされます。

      🎶 君は愛されるために生まれた 🎶
 「君は愛されるために生まれた、君の生涯は愛で満ちている
    永遠の神の愛はわれらの出会いの中で実を結び
     君の存在が私にはどれほど大きな喜びでしょう
  君は愛されるために生まれた、君の生涯は愛で満ちている」

by しん1

実は、とうちゃんは詩を読むのが好きです。
5月になると必ず思い出す詩。室生犀星「五月」。

悲しめるもののために
みどりかがやく
くるしみ生きむとするもののために
ああ みどりは輝く

この詩に感激して、ついには5月生まれでもないのに、長女の名前を「みどり」と名付けました。長女がその名前の由来のように生きているかはどうかはわかりませんが、人の悲しみがわかり、一緒に悲しんだり、泣いたり、その上で励ましを与えられる人に育ってほしいという願いからそうしたのです。

「ケア(Care)」とは、今では福祉の世界で普通に使われる用語ですが、語源をたどると原義は「悲しみを共にする」という意味のようです。実は、福祉の基本もここにあります。その人に寄り添い支援するとは、その人の目に見えないかもしれない涙を見つめながら、共感し、お互いの存在を大切にしていくことから始まるのです。震災にあった人の心の癒しのプロセスで語られる3つの「T」とは、「Tear(涙)、Talk(語る)、Time(時)」といわれます。

そうしたことを思うと、悲しみや苦労を共にして初めて、喜びを共にできるのかもしれません。ローマの信徒への手紙12章は、そのような文脈の中で読み解きたいと思います。
風もさわやか、そんな季節だからこそ、語り合い、涙を流し、励まし合い、そして共に喜ぶそんな関係を大切にしていきたいと思います。「大切」とは、大きく切った方を相手に差し出すのだとある牧師先生が教えてくれました。あなたを「大切」にしたいそんな季節でありますように。

By とうちゃん

ハレルヤ!

先日、姪の結婚式があり、久しぶりにお祝い席に参列して、若さと美しさに満たされたカップル二人を見ながら、心弾む思いで一日を過ごしました。

こうしてGWになると、私も結婚記念日が近づくので、27年前の自分達の姿を思い浮かべます。

婚約から2年後に結婚を予定にしていたため、2年以上先の予約が受け付けられません、一年後にもう一度いらして下さい、そして聖書の勉強を二人でしてから結婚式を挙げて下さいと言われ、約束通り一年後に再び教会を訪れ、無事に結婚したことを思い出します。
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~オリーブの香り~No154  

Shin1

最近になって授業にも余裕ができたので、興味本位で哲学の授業を週に2回程度受けるようになった。が、思いのほかハマってしまってしまった。自分はこんなにも考えることが好きだったのかと気付き、ますます哲学について知りたいと思うようになった。
毎週2回哲学のスペシャリストに学び、自分の中に取り入れる、こんな生活をずっと続けていけたらどんなに楽しいだろうと考えていた。
しかし、わたしには哲学以上にずっとハマっているものがある。それが聖書だ。これはある意味哲学以上に様々なことを考えさせられる。聖書は読めば読むほどその中にある喜びや主の愛を与えてくれるから、それが私の日々の生き甲斐になっている。
みなさんにはハマっているもの、生き甲斐になっているものはあるだろうか。
毎日の中で一つでも楽しいこと、嬉しいこと、好きなこと、ハマることが見つかったとき、それが何かをやり遂げるためのきっかけになり、モーターになる。わたしであればそのモーターは哲学以上に聖書だ。嬉しい時、楽しい時、苦しい時、悲しい時に聖書を開くと、不思議とその状況に見合った御言葉が与えられたりする。もし気になる方はぜひ一度手に取って読んでみると良いかもしれない。

by マッキー

3月に小豆島に旅行に行ってきました。
長女が来年で高校を卒業し、就職を予定しているので、
今後、ゆっくりと家族旅行することも難しくなるかもしれないと思い、奮発して行ってきました。

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おみやげの「オリーブの香り」

キリシタン大名高山右近が羽柴(豊臣)秀吉によるバテレン追放令が出された後、信仰を守ることを第一とし、領地・財産をすべて捨てて放浪の身となったときに小豆島に逃れた場所ということで是非行ってみたいとの妻の希望で決まりました。

4月1日夕刻、東京八重洲地下街。前を歩く3人組、明らかに新入社員。会話が耳に入った。「緊張したねー。肩がはって、重たかー」。おっ、九州弁だ!、思わず、頑張れよと激励したくなる。
きょろきょろしながら歩く3人組(こら、あまりきょろきょろするな! いかにもお上りさんだぞ)。
「朝のラッシュすごかったね」
「それでも、今日は遅めやったけん、それほどでもなかったらしいよ」
「えー、そうね」
(そう、とうちゃんも昔横浜に来て初出勤の朝、横浜駅で思わず、身がすくんだものだ)

JOYでは婦人達を中心に、少人数で構成された聖書の学び「エステル会」が月に一度、姉妹達の自宅を解放して行われています。
榎本保朗先生の一日一章という本をテキストとして、旧約聖書を通読していきます。

さて、我が家のリビングに飾られているカレンダーには、そのスケジュールを忘れないように○○宅エステル会10時半~などと毎月記入しますが、
未信者の母は、長い間この予定内容を見て、誰かの自宅で美顔講習でもしているのかと勘違いしていました。

自宅エステ・・・だと思い込んでいたようです(笑)
しかし、エステティック・・・聖書に登場する「エステル」が起源だそうです。

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